100th Anniversary
Historyキョーリン製薬グループの歩み
1923~
創業者の荻原廣が、杏林製薬の前身となる東洋新薬社を設立し、その歴史が始まりました。
日本が震災からの復興へ歩みを進める中、当社は人々の健康に貢献するための第一歩を踏み出したのです。
1923
東洋新薬社の創業
1923年(大正12年)、関東大震災の余じんの中、荻原廣が東京の大森区新井宿に杏林製薬の前身となる東洋新薬社を設立し、創業を始めた。
1931
設立記念日の制定
1931年(昭和6年)6月16日、杏林化学研究所を設立。初めて「杏林」という称号を使ったことから、当社グループの創立(記念)の日と定めた。
1940
杏林製薬に改称
1940年(昭和15年)、杏林化学研究所を杏林製薬に改称。また、同年販売部門を担当する杏林薬品を設立した。
1947
岡谷工場開設
戦後の1947年(昭和22年)、世の中が復興に向け始動する中、長野県岡谷市に岡谷工場を開設。2016年(平成28年)まで主力工場として稼働した。
1960~
新薬の開発に向けて研究所を設置するとともに、生産拡大を目指して新たな工場を開設。
オリジナル新薬の創製を目指し、設備投資に加えて研究開発費も増大させ、
待望の新薬ノルフロキサシンを開発することに成功しました。
1962
杏林化学研究所開設
1962年(昭和37年)、新薬開発に向け東京都北区浮間に杏林化学研究所を設置。組織的な体制を構築した。
1965
本社屋の完成
1965年(昭和40年)、本社を東京都千代田区神田駿河台に移転。本社ビルが完成した。
1967
野木工場開設
1967年(昭和42年)、野木工場を開設し、生産拡大に対応した生産設備の近代化が進展。1967年(昭和42年)から2006年(平成18年)まで主力工場として稼働した。
1977
中央研究所開設
1977年(昭和52年)、時代の要請に応え、オリジナル新薬の開発力を高めるべく、中央研究所を栃木県下都賀郡野木町に開設。
後に待望の新薬、ノルフロキサシン(バクシダール)の開発に結び付けた。
1980~
世界初のニューキノロン系抗菌剤ノルフロキサシンは日本のみならず、
世界中の国と地域で評価される新薬となりました。
さらなる発展のために東京証券取引所に上場し、事業拡大へ向けた取り組みを進めていきました。
1980
NFLXを米国メルク社に導出
1980年(昭和55年)、ノルフロキサシンを米国メルク社に導出。複数の欧州製薬企業とも契約し、同薬は世界130以上の国・地域で発売され、当社の創薬力が世界で評価された。
1992
杏林製薬・杏林薬品合併
1992年(平成4年)、経営資源の結集・企業体質の強化を図るため、杏林製薬と杏林薬品を合併。研究開発から生産、販売までの機能を有する新生「杏林製薬株式会社」がスタートした。
1995
能代工場開設
1995年(平成7年)、さらなる安定生産・安定供給・生産性向上を図るため、秋田県能代市に能代工場を開設。新たな生産拠点として稼働を開始した。
1996
日清キョーリン製薬設立
1996年(平成8年)、医薬品事業の強化によるさらなる成長と発展を目指すことを目的として、日清製薬株式会社に資本参加。日清キョーリン製薬株式会社として事業活動を開始した。2008年(平成20年)に杏林製薬と合併。
1996
研究センター設置
1996年(平成8年)、開発研究機能(合成研究・安全性技術・合成技術・製剤技術)の向上を目指し、栃木県下都賀郡野木町に研究センターを設置。開発研究のさらなる効率化を進めた。
1996
ガチフロキサシンの導出
1996年(平成8年)、ニューキノロン系抗菌剤 ガチフロキサシンを米国 BMS社に導出。2000年(平成12年)、ガチフロキサシン点眼剤を米国アラガン社に導出した。
1998
ミルトン事業の買収
1998年(平成10年)、P&Gグループより哺乳ビン、乳首の殺菌消毒剤ミルトンの日本における事業を承継。感染症関連の事業領域を「治療」から「予防」まで拡大するとともに、大衆薬事業の強化を目指した。
1999
東証2部に上場、1部指定
1999年(平成11年)4月、東京証券取引所第二部への上場を果たし、翌年、市場第一部へ指定替え。社会的な地位を高め、資金調達の選択肢を拡げることで継続したR&Dへの投資や新分野への事業拡大を目指した。
2000~
新たな企業像として定めた「複合ヘルスケア企業」を実現するため、持株会社体制に移行。
社名も「キョーリン製薬ホールディングス株式会社」に変更し、次の一歩を踏み出しました。
2004
ActivX社子会社化
2004年(平成16年)、新たな創薬技術(プロテオミクス)の獲得を目的として、バイオベンチャー企業であるActivX社を子会社化。医薬品候補化合物の探索研究の効率化、スピードアップに結び付けた。2023年(令和5年)に閉鎖。
2005
東洋ファルマーのグループ化
2005年(平成17年)、東洋ファルマー株式会社(現:キョーリンリメディオ株式会社)を買収し、後発医薬品事業に進出。新規事業の構築に取り組んだ。
2006
持株会社体制へ移行
2006年(平成18年)、新たな企業像「グローバルな創薬ビジネスをコアとし、信頼をベースとした特色ある複合ヘルスケア企業」の実現を目指し、持株会社体制に移行。社名を「株式会社キョーリン」に変更した。2010年(平成22年)、より認知されやすい「キョーリン製薬ホールディングス株式会社」に社名を変更し、知名度の向上に取り組んだ。
2012
キョーリン製薬グループ工場の
創業
2012年(平成24年)、生産技術・能力のさらなる向上に向け、MSD滋賀工場を譲受。キョーリン製薬グループ工場として創業し、新生産体制の構築を進めた。
2015
わたらせ創薬センター設置
2015年(平成27年)、創薬研究所(旧中央研究所)及び開発研究所(旧研究センター)の2箇所に分散していた国内の研究開発拠点を集約し、新開発研究施設「わたらせ創薬センター」を野木工場跡地(栃木県下都賀郡野木町)に設置。人・組織・システムにおける効率化と連携強化を図り、企業の総合力を一層発揮する体制の構築を行った。
2017
キョーリン リメディオ
高岡創剤研究所開設
2017年(平成29年)、後発医薬品製剤の開発力強化、魅力ある自社開発品目数の増加を目的として、富山県高岡市に高岡創剤研究所を設置。固形剤及び液剤の開発研究に取り組むとともに、製剤開発の質の向上とスピードアップを図った。
2017
診断事業に参入
2017年(平成29年)、国立研究開発法人 産業技術総合研究所が開発した技術を産業化する目的で設立された株式会社ジェイタスの全株式を取得。同社が開発した超高速遺伝子定量装置「GeneSoC」の発売に結び付けた。PCR装置を独自技術で改良した同装置は新型コロナウイルスの診断にも活用されている。
新生産子会社 キョーリン製薬グループ工場稼働
2018年(平成30年)能代工場及びキョーリンリメディオ株式会社の生産本部を吸収分割することにより、新生産子会社へ継承。また滋賀県甲賀市のキョーリン製薬グループ工場を吸収合併して新生産子会社に統合し、新生産子会社 キョーリン製薬グループ工場株式会社を稼働。グループ内生産の全体最適化とともに高品質の製品を安定的に低コストで供給する競争力のある生産体制の構築を行った。
2022
東証新市場区分「プライム市場」への上場
2022年(令和4年)これまでの4つの市場区分から3市場に再編され、当社グループは最上位のプライム市場を選択し上場。業績や株式流動性などの基準を満たすこと、さらにコーポレート・ガバナンスやサスティナビリティ課題への対応に邁進した。
2023~
創業100周年を迎えました。
杏林製薬と合併
2023年(令和5年)、完全子会社である杏林製薬と合併し
商号を「杏林製薬株式会社」に変更。